みる きく よむ ― 造形・音楽・書物
私たち人間は、ここでいう「みる、きく、よむ」という自由な私的行為を通して、社会的現実のなか
での日常の仕事からくる精神的・身体的重圧を軽減し、その負荷の連続を切断しています。
ごく普通に、テレビや映画を見たり、CDを聞いたり、本や雑誌を読んだりするのもそのためです。ただ、現代の顕著な傾向は、一方で人間の感覚が技術的な操
作によって、その現実性を剥奪され「仮象の世界」へ引き込まされ、いわゆる「ヴァーチャル化現象」に見舞
われています。しかしまた他方、その反動としてか、あるいはその進展としてか、美やアイロニーにそもそも関心を示さない、いわゆる超越論的「人間性」を放
棄して「動物化」し、現実の欠乏と満足だけを繰り返す動物へと先祖がえりするような傾向も同時に見られます。この二つの傾向は、実は同根であり、それが枝
別れしているだけかもしれません。この傾向が善悪を超えた歴史的必然性をもち、そこから決して人間は自由になれない宿命をもっているのだとした
ら。やはり「大きな物語」は存在すると言うべきなのでしょうか。いずれにしても、私たち「日時計の丘」の活動は、現在の現代性を追及するというより現実か
ら一歩後退し、
わき道にそれ、一昔前の歴史意識と技術を学び返すことによって、これまでの歴史の流れの方向を見定め、世界の多様性を許容し、さらなる未来の姿に立ち向か
うという立場を採っています。しかし、ただ単に現代的意識を放棄し、美しく映る過去へのノスタルジーを呼び求めるのではなく、方法的には現代を超えた、さ
らに新たな未来への可能性を希求しています。
また、「みる、きく、よむ」は単独で成 立しません、それらは相互に関係し合っています。それゆえ「
日時計の丘」は、これまで流通してきた自然・文化・社会の「脱領域化」を図り、その「交差領域」での「新たな関係性の発見」を通して皆様との交流を可能に
する「場所」の提供を目指すことになります。とは言っても、それを実行していくためには、私どもだけで出来るわけがありません。多くの方との交流を通し
て、さまざまな領域での現状分析とその解決のための理論を構築し、それらの改革を実践すべく話し合うことを大切にし、来るべき時代と可能なる場所を探すべ
く、さまざまな催しや講座を共同して編集し、組み立てていきたいと考えています。
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